トニー・アレン インタビュー(TONY ALLEN) / 1>> 2 続き>>


トニー・アレン
インタビュー動画


トニー・アレン インタビュー[Interview & Text by jun ide
●New release "Exclusive Tony" compiled by Kaoru Inoueについて

新作 "Exclusive Tony" については、すごくKaoru Inoueに感謝している。 彼らDJ達は、自分達のようなアーティストを常に支持して助けてくれているんだ。彼らは良い音楽を選曲するのが、 ものすごく上手で迅速だと思う。つぎからつぎへと新しい作品をプレイして、 それを他のDJ達が聞いてそのレコードを買い出しにいったりして、すごく効果的だと思う。 それと比較してラジオ局は、あまり相乗効果はないかもしれない。 ラジオ局ではアーティスト一人につき約3分前後しかプレイ出来ないけど、クラブDJは、5分〜8分以上プレイし続ける事が出来て、リスナーに曲全部を聞かす事ができる。ラジオ局では8分以上も同じアーティストの曲を紹介する事なんて不可能 だよ。たったの3分だけ。自分が思うにラジオ局はあまり自分達にとって 効果的な事はやっていないかもしれない?!クラブDJの方がアーティストの 本当の良さを理解した上で、プレイしてくれるから、本当に感謝しているよ。 そう、だから、自分がライブでプレイする時には、かならずクラブDJと一緒に プレイするんだよ。自分のライブにはDJが必要なんだ。単なる前座DJとして じゃなく、一緒にプレイするのがいいんだ。DJが俺の音楽の中に入っている のがいい。そういう試みをいくつかツアーでやって来ている。多くのクラウドが そのスタイルが大好きだったよ。楽しく踊ってくれて、反応がすごくいいね。



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●トニーアレンの音楽ルーツについて

自分の音楽ルーツを語ると、ちょっとロングストーリーになってしまうから、 ショートストーリーにして話そう。(笑) 皆、人生に於いて様々な形で音楽と接し、色々なインスピレーションを受ける と思うんだけど、自分が音楽に入り込んでいった経緯は、いつも真剣 に自分がやりたい事、やらなければいけないと思う事を考えていて、自分 自身の感覚で音楽をやる事を分かっていた。そもそも父親が音楽好きでギターやマ ンドリンを家で弾いて聞かせてくれたんだ。自分は家族の中で、一番最初に音 楽に目覚めたんだ、他の兄弟達は皆、他の事に興味を示したけどね。 僕の場合は自分の体の中に流れているブロッドで分かっていた事なんだ。 実際にプロのミュージシャンとして生きて行こうと決心したのは、十代の終わり 頃だったんだけど、もともとはエレクトロニック・テクニシャンとして毎日定時刻で働く決まりきった、退屈な仕事をしていたんだ。自分の両親は自分をエンジニア として働いて欲しかった様だった。

●その仕事は約4年くらい働いていたんだけど、その頃からちょこちょこと 地元のナイトクラブとかへ遊びに行きだすようになって、本当に沢山の ライブバンドとかに興味を持って、ナイトクラブへ遊びに行っても、 ドラム以外の楽器には目をくれずに、じっとドラマーの動作を盗み見ていたんだ。 自分の父親がギター弾くから、僕がドラムを叩いて見たかったんだ。正直言って ギターをプレイする事には全然興味なかったね。ただただドラムを叩いてみたかった。 その頃が自分にとって、ミュージシャンとして、ドラマー人生の始まりだったと思う。 本格的にドラムの叩き方を研究するようになったのは、まだ十代の終わり頃だったけど、ミュージシャンの友達といっしょにナイトクラブに通っていた頃に、 その友人が自分の働く会社からラジオを買って来て、ジャズがかかる 番組をよく聞いていたんだ。 そしてある日突然、それまでの仕事だったエレクトロニック・テクニシャンを 辞めてたんだ。なぜならその仕事は自分を活かす仕事じゃなかったし、朝8時から 決められた時間に出社して、絶対に遅刻は許されない。その上一日中退屈な仕事を する事は自分には合わなかったからさ。 当時を振り返ってみると、あの時の自分は本当の自分自身じゃなかったよ。自分は ナイトライフが欲しかったんだ!!"My life is the night"と強く思ったよ。 それと<*ハイライフ>が大好きだった。ハピネス&ラヴ。

(*ハイライフ[Highlife]と呼ばれるナイジェリアの隣国ガーナで発展した民族音楽とジャズを組み合わせた音楽や交流のあったジェームス ブラウンの音楽などを組み合わせ独自の音楽)

●音楽に入り込むキッカケについて

一番最初に自分が興味を持って聞いていた音楽は<Highlife>だった。 本物のローカルミュージックと言えば、<Highlife>しか考えられなかった。 ウエスト・アフリカンミュージックね。 それ以外に良く聴いた音楽と言えば、<ブルーノート>ジャズだね。 本当にブルーノートのジャズはラジオで聴いていた。 なぜなら自分はドラムをプレイしたかったからさ。アート・ブレイキーとか、フィリー・ジョー・ジョーンズ、マックス・ローチ、トニー・ウイリアムスなんかを、ラジオで聞きながら育ったんだ。彼らの演奏にすごく刺激されて、自分もドラムをやってみたいって思ったよ。当時、彼らの真似事をしながら、自分なりにベストを尽くして練習したよ。当時、自分も若かったし、彼らのレコードとかは買えなかったから、ブルーノート系のジャズを聴くにはラジオしか方法が無かった。60年代はラジオ自体がすごいパワーを持っていた。自分の国ではブルーノートレコードを買う事が出来なかったから、尚更ラジオが唯一ジャズとの接点だった。そしてブルーノートがナイジェリアで普及し始めた頃は、今のようにテープに録音も出来なかったし、とにかく ラジオから流れて来るジャズを耳で覚えるしか方法がなかったんだ。それから 随分してから、ブルーノート系ジャズの輸入レコードがナイジェリアに入ってくるようになったんだよ。どこの誰でもナイジェリア国内で購入出来るようになった。 そもそも自分がラジオ修理テクニシャンだったから、本当に自然にジャズを 聴く様になった。とにかくラジオを修理し終わると、テストをしなきゃいけなかった から、全ての周波数にハマるラジオ局をざっとチェックして、その後はジャズをだけを聴いてたんだ。(笑)

●1965-1980 Victor Olaiya's Cool Cats the 60sについて

自分にとって、初めてのバンドでもあった、クールキャッツ時代の経験は最高だよ。 あのバンドで自分が本格的にプロとしてドラムをプレイするようになった。たしか 9ヶ月くらいの間だった。当時ラジオ修理テクニシャンをしながら、そのバンドの ドラマーから色々と基本的なスティックの持ち方から、叩き方まで習って体で覚 えた。そのバンドで補助的に3曲くらい曲を覚えてだんだんと慣れて来た頃に、メインドラマーがバンドを辞めてしまったんだ。バンドメンバーは、他の新しいドラマーを入れるよりかは、いくつか曲を叩ける自分を幸運にもその彼の後釜になったんだ。 おもしろい事に、その彼が居なくなるちょっと前に、ナイジェリアの国営新聞の記者からインタビューを受けたんだけど、その記者が自分に、どのくらいドラムを叩いているのか?と質問してきたから、正直に8ヶ月だと答えたんだ。そしたら、その記者がもう一度聞き返して、8年でしょう?!言ったんだ。自分は否定して、彼に8ヶ月だと言うと、その記者が、バンドリーダーに、それは本当か?と問いただしたんだ。そしてそれが本当だと分かると驚いていたね。その後も、ナイジェリア国内至る所でプレイして実力をつけて行ったけど、皆、自分がドラムを5年以上経験があると信じて疑わなかったよ。(笑) だから、さっき話した様に、自分はスピリチュアルレベルで、ドラムの才能がずば 抜けてあったって信じているんだ。

●1964 Fela Kutiと活動開始について

そもそも1964年頃にフェラ・クティと活動し始めた頃の 最初の一年間はストリクトリーにジャズを中心にプレイしていた。 ラジオから聞き覚えたジャズ、ブルーノートさ。当時、フェラは ラジオのDJだったんだ。彼本人がブルーノートをラジオで紹介し ていたんだ。毎週金曜日にね。自分達はラジオでプレイしている ブルーノートのレコードを聴いているより、実際にライブで ジャズをプレイして見たかったんだ。そしてその一年間だけは ジャズのみを集中してライブでプレイした。そして65年になって <ハイライフ・ジャズ>が産まれたんだ。ハイライフ・ジャズが 後に<アフロ・ビート>に成って行ったんだ。自分以外の 誰でも無い、自分がフェラと<アフロ・ビート>を始めたんだ。

●アフロ・ビートの創世記について

ここだよ。(自分の額に指を指して)。どんなインスピレーションも 全てここを通して、リズムを創り出すんだ。例えて言うならば 自分のマインドの中には、4人のドラマーが住んでいるような感覚さ。 自分の脳みそからの指令で、両手、両足が別々の4人の人格を持った様に タイトなリズムを刻むんだ。違う動きをしていても、それぞれが 違うチャンネルを通過しながらも、一つの同じポイントにシンクロナイズ する時に、独特のリズムが産まれるんだ。 そう、ここなんだよ。(自分の額に指を指して)。4つのキャラクターが 組み合わさるんだ。それが<アフロ・ビート>なんだ。 その後も、フェラとのバンド経験を通して、ドラムパターンの知識も 増えて行って、自分もバンドもどんどんと進化していったんだ。 自分は現状に立ち止まらずに、常にマインドをエキスパンディングさせ 継続して、あたらしい音楽を創り続けていったんだ、永遠にね。当時 フェラはジェイムス・ブラウンにインスパイアされ、JBは、フェラに インスパイアされてみたいに、お互いに影響しあってたんだ。それでいて 彼らはまったく違った音楽を創造していたんだ。全く違う音楽をね。 そこには何もリレーションシップは無いと思うよ。当時、実際にJBの バックバンドのドラマーとミュージックアレンジャーが、俺が叩いている 直ぐ横で、俺のリズムパターンを盗み見て譜面に起そうとしていたんだけど、 あれから何十年も経った今も、未だにJBのドラマーが俺のパターンと同じ様 に叩けるようにはなっていないし、それは不可能な事だと思うよ。なぜなら そのすべては、俺のマインドのみぞ理解しているリズムパターンだからさ。 彼らは俺のドラムスクールに来ない限り、不可能だよ。(笑)

●1980, 自身のバンド"Mighty Irokos",(マイティロコス)について

そしてフェラと色々とあってバンドを去って、約1年くらいはどこのバンドにも所属しないでフリーランス活動をしていた。たまにライブやったり、レコーディング セッションに参加したりしているうちに、80年に、自分自身のバンドで 活動したいと思って、マイティロコスを結成したんだ。正直言って フェラのバンドを去った頃は誰ともプレイする事が出来ないくらいだったんだ。 誰とも会わない日々が長く続いていた。ただ単なるコラボレーションで、雇われで、 ちょっとしたレコーディング程度ならやったりしたけど、それは本来の自分の活動じゃない。 でも自分自身が立ち直って、自分自身の音楽で食って行く為に、フェラのバンドで 活動してきたように、他人のバンドに参加して動く事なんて、インポッシブル!! (不可能)だと思ったよ。だから自分自身が何をしたら良いか考えなくてはいけなかったんだ。そして自分自身のバンドを結成する事がベストな解答だと思ったよ。フェラのバンドを辞めて、自分のバンドを結成する事自体は自分の思う所では無かったんだ。だけどしばらくの時を経ての自分バンド<マイティロコス>を持つ事が自然な流れだった。それが自分にとって全く新しいはじまりだった。これは自分の運命だと思った。

Supported by La Fabrique/ Blues interactions / Interview & Text by jun ide

トニー・アレン(TONY ALLEN

60年代半ば、トニー・アレンと「ブラック・プレジデント」ことフェラ・クティは、 現代のヴードゥー・スタイルとも呼べる新しくファンキーなサウンド、 つまりアフロビートを生み出した。 アメリカン・ファンクの力強さとアフリカのハイライフが持つ繊細な クロス・リズムを掛け合わせたアフロビート。 それは、その後1969年のアメリカ・ツアーで当時の黒人アメリカ音楽の 伝道師達(ジェームス・ブラウン、アート・ブレイキー、マックス・ローチ等)に 出会うことによりさらに大きな発達を遂げた。 そして10年後、アフリカ70の名声と悪評の波の頂点に立ったフェラとトニーは、 フェラの政治的アンセムとアフロビートに後押しされると同時に、 トニーのアフロ・ジャズ調の力強いリズムを軸にして、 素晴らしいバンドを率いて音楽を作りつづけたのだった(残したアルバムは30枚以上)。 1977年にフェラと道を分かつこととなったトニーは、 ナイジェリアからヨーロッパへと拠点を移し、 また新たな文化を自分の音楽に取り入れるだけでなく、 数々のアーティストとのコラボレーションを重ね、 ミュージシャンとしても成長を続けたのである。 1999年にComet Recordsからリリースされた前作『Black Voices』は、 パリ在住のヒップ・ホップ・アーティスト、Doctor・Lによってプロデュースされ、 トニーの過去と現在、そして未来をも繁栄した、まさに時代を超越したアルバムとなった。 コラボレーションを通して革新を続けるという精神は、 サイコ・オン・ダ・バスとThe Allenko Brotherhood Ensembleの 二つのプロジェクトにも受け継がれている。どちらも2001年にアルバムを発表。 10/10発売の新譜情報はコチラ

[取材協力:ラ・ファブリック/ブルースインターアクションス/インタビュー&テキスト 井出]


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