KASKADE exclusive interview 特別独占インタビュー

KASKADE interview 02 (Ryan Raddon)/
●もともとシカゴ出身ですが、そもそも当時DJ活動に入り込むキッカケや、KASKADE独特のスイートでソウルフルな音楽創作に至るまでの経緯を教えてください。

僕がどんな風にDJ活動するようになったかって?
もともと僕はシカゴ出身で、実は10代の頃はダンサーみたいな事をやっていたんだけど、高校生の時、すごく音楽が好きだったから、ごく自然にハウスミュージックを 聞く様になった。なぜならハウスはすごくカティングエッジで、クールで 美しいもので、自分にとってすごく新しいものだったんだ。 当時のハウスミュージックは自分の周りでは、あまり聞かない種類の音楽だったし、クラブを除いてはラジオでもかからない・・・。それ以来、地元のレコードショップで、ハウス系のレコードを買う様になっていった。クラフトワークとか、ミニストリー・・・と、それ以外にも本当に多くのハウスミュージックを聞く様になった。こんな感じで80年代中半から90年代初頭にかけて、ハウスミュージックにハマって行った。これがすべてのはじまりだった。1985年、自分が高校一年生だった時、地元シカゴにある<gramaphone records>っていう老舗ショップに通って、よくレコードを買ってた。今でも健在のショップで、良質のハウスミュージックを売っている。

それで、後に遊びにDJっぽい事もやりはじめてからは、DJの友達から中古レコード買ったりしたけど、全然真剣にDJとしてやって行こうなんて事は考えても見なかった。ただ友人とプレイして楽しんでいた、DJは遊びのひとつに過ぎなかった。 まだ高校生だったから、ターンテーブルとかも自分で持っていなかったし、 お金もあまりないから、週に1枚くらいしかレコード買えなかった。(笑) 友達のひとりがターンテーブルを持ってたから、彼の家へ遊びに行って 皆でハウスのレコードをよくプレイして遊んでた。 実際に僕は90年代初頭まで自分のターンテーブルは買わなかったけど、当時カレッジに行き始めて、アルバイトとかも始めて、漸くターンテーブルを手に入れる事が出来た。その頃は友達の間でプレイしていたに過ぎなかったんだけど、それを機にすこし真剣にDJとしての活動に取り組んで行った。




●80年代シカゴの高校時代のウエアハウスパーティ

フランキーナックルスとかを初めて見たのは80年代半ば。高校時代の友人に金曜の夜にハウスをかけているクラブに行こうと誘われて、当時車も運転出来なかったけど、 友達のシスターが一緒にクラブまで乗せていってくれたんだ。 あの晩以来、自分の人生が大きく変わったと思う。それは、シカゴにあるクラブ <メデューサ>だった。当時、フランキー・ナックルスは、そのクラブの レジデントDJで、週末の晩にプレイしていたと思う。特に土曜日の晩のパーティは一番盛り上がってたから、毎週必ず遊びに行ってた。当時、多くのDJ達のスタイルにもかなり影響をうけた。バッドボーイ、ブートベル、地元ラジオのWBMX Crewとか、すごく熱いミックスをプレイしてたよ、

●90年代ソルトレーク時代/マンハッタンクラブでの経験

自分のカレッジがあったSalt Lakeは、とても環境の良い所だったけど、故郷シカゴと比べて全てがチェンジしてしまった感じがした。でも自分にとってあの町は、自分が,より音楽に入り込んで行く為の準備期間だったと思う。90年代初頭あたりまでは、ハウスミュジック一本というより、色々な種類の音楽を聞いていた。レコードもよく買う様になって、友達も出来て、ハウスパーティとかやったりして・・・。 でも、ソルトレークに移住して来て初めて、<ハウスミュージック>は、全米中には 浸透していない事に気がついた。当時、自分のイメージでは、世界中の多くの人々が ハウスミュージックを聞いていると思い込んでいた。でも、ソルトレークでは、 ボーカル中心のソウルとか人気があって、すごく刺激を受けた。 ハウスミュージックのパーティがこの町にあまりなかった事から、自分自身で 自らをDJとして、ブックして、ハウスミュージックのパーティを主宰したのが、 始まりだった。自分の故郷シカゴの時のように、自分が友達と楽しめるように 同じような事を始めたんだ。実際に、シカゴにいる時以上に、クラブでのギグを毎晩のようにブックして、積極的にDJ活動に入り込んでいった。でもいちおう学業があったから、プロとして真剣にやっていたわけでなくて、学費とこずかい稼ぎをしていた感じだね。

●サンフランシスコへ移住する経緯

ハウス系のレコードとかを仕入れに行く時は、年に2回くらい故郷のシカゴへ 戻って、買い漁ったり、サンフランシスコ、ロスとかにも、比較的近かったから よくレコードを買いにいってた。 後に、ソルトレークにある、<Mechanized Records>という、クラブ系レコードを扱うショップにも働くようになり深く関わっていった。 そこでは、2、3年は働いた。後にパートナーとして、ビジネスにも関わっていったんだけど、色々とあって、もとの店主がパートナーシップを解消してしまって、自分が引き継いで、2、3年経営してきた。で、また元のパートナーがショップを買い戻したいと言ったのを機に、そのビジネスから身を引き、以前から音楽的に興味があった、サンフランシスコへと移住する事を決心した。

自分にとってサンフランシスコへ移住する事は、ロジカルな動きだと思った。 僕は、ディープハウスに入り込んでいたし、ハウスが盛んな所は、NYをはじめ、 シカゴ、サンフランシスコが中心だけど、当時、まだサンフランシスコは ディープハウスが開拓中な感じだった事もあって、それとマーク・ファリナ/OM、ミゲル・ミグス/ネイキッドと色々すごいアーティストがシーンを作って来ていて、小さなレーベルがちょこちょこと沸き始めていた感じだった。その動きをこちらからずっと察知していたから、自分の今迄やってきた事が自然とフィットした感じだった。移住したのは、今から約3年まえの2000年だった。 もう移り住んで約3年半が過ぎた。

OMのレーベル・オーナーChris Smisthとの出会い。

移り住む前に、SFの OMへ電話をかけて、直接レーベル・オーナーのクリス・スミス にレーベル運営のヘルプがしたいと告げると、クリスが丁度、アシスタントを探していると言ってくれて、すぐに働く事が決ったんだ。たまたま従業員のひとりがNYへ移住してしまうから、補欠が出たらしい。以来、2年半OMのオフィスで働く事になった。 実は去年の10月には、OMから独立したんだけどね。

●KASKADE名義の由来について

KASKADE名義は、SFへ移住して、気持ちをリフレッシュしたいと 思い、初めてKASKADEという名義を使いだしたんだ。DJとしても、 プロデューサーとしても、この名義を使っている。ごくまれに 本名のRyonを使うけど。OMの連中は、僕がKASKADEとは、 当初全く知らなかったんだ。(笑) そもそもKASKADEという名とソフトな響きが、とても気に入って 使いだした。僕の音楽自体もすごくソフトでいて、且つ 人々がぐっとくるようなものがあると思うから。なんか自分の 音楽にフィットする言葉を考えた時にKASKADEが適切だと 思った。ランダムに思い浮かんだ。

●You did Tapped to mix the third edition of the highly
successful series Sounds of Om 3 (2002)
(Vol5- BUilder/Let's make out mix)

Sounds of Om 3 シリーズから、参加したんだけど、 あの作品が一番最初の自分のリミックスワークだった。 全ては、Omのカタログから選曲したもので、この シリーズは、もう継続していないけど。すごくおもしろい プロジェクトだった。 そもそもこのシリーズのコンセプトはクリス・スミスが 考えたもので、アフロミスティックとかの作品を中心に ハイライトをまとめたものだった。

●OM Recordsの方向性について

すごく良い質問だけど、あのレーベルは すごくプログレッシブで、実際に最近ではアーティストの ソロアルバムを中心に展開している。実際自分も OM から、KASKADE名義で<It's you, It's me>という全てオリジナルのトラックの、 初ソロアルバムをリリースした。 ダンスミュージックレーベルのトレンドとしては、コンピレーション 、DJミックスCDとか中心だけど、OMは、そこから脱却しつつあり、 積極的にアーティストのソロアルバム、オリジナルトラックが中心になりつつある。 最近のリリースは、KASKADE,アフロミスティック、リズマ、J−boggie, 去年は、ソウルスティス。オリジナルを中心に展開している。ソロアーティストの アルバムは、ダンスミュージックマーケットには、新しい動きだと思う。

●今後のリリース予定について

今作でかなり働きすぎたくらいだけど、 次ぎの予定は、自分のオリジナル12インチ,Society Heights, Jay Hannan's Lavel / formaly Lazy dog london. その彼が新しいレーベルをスタートさせた。 In this Life.多分2、3週間でリリースされるよ。 夏っぽい雰囲気のトラックだから、7月中に出て来るよ。 あと近い将来の予定は、OMから新しいリミックスワーク が出される。それが僕の次ぎに取りかかるプロジェクトになる。 それで、8月ー9月に少しタイムオフしてから、次ぎのアルバムの 構想を練りはじめる予定。その期間にかなり集中して、トラックの レイアウトまで考えると思う。もし上手くいけば、2004年の春先には リリースしたいと思う。

● How does music make U feel?/

自分にとってミュージックとは、すごくエモーショナルな 事だよ。最良のコミュニケーションの手段だと思う。 ミュージックは、言葉で言い表せない事を感覚的に表現する 事ができる、すごくエモーショナルな美しいアートフォーム。 自分は音楽にすごく魅力を感じている。

●What does house mean to your life?

ハウスミュージックは、15ー17年近く自分の人生の巨大なパートを占めている。 ハウスミュージックに関わってゆくには、本当に心から好きで無いといけない。 ハウスは、とても小さなアンダーグランドのニッチグループ層に対しての 音楽だけど、ハウスは、音楽としてだけでなく、 ライフスタイル的な事でもあり、音楽と生活が密接に関係していると思う。 僕はその全てのアスペクトが大好きなんだ。音楽が一番で、リズム、テンポ、 がすべて。その奥深い何が僕を牽引するのか、わからないけど・・・ ライフスタイルに関しても、とてもオープンで、自由で、容易に人々を受け入れる グループがあって、皆でハウスミュージックを聞いている。 ハウスミュージックは、自分のライフにとっての、コンパスでもあり、 ハウスに対して、深くデディケイトしなければいけないと思っている。

●日本のファンへメッセージをどうぞ。

僕は、日本が大好きだし、東京も大好き。 僕のファンへは、僕のレコードをサポートしてくれて、ありがとうといいたいね。 純粋に音楽を楽しんでほしい。



Supported by OM Records, Green Room production, Kaori ichikawa / Text & Interviewed by Jun Ide

 

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