Sunshine Jones exclusive interview 特別独占インタビュー

Sunshine Jones exclusive interview
特別独占インタビューby jun ide

[Interview & Text by jun ide
取材協力:Hisa Isioka @ KingStreet Sounds, Yuko Ichikawa @ Yellow

●RECENT WORKS
"Seven Tracks in Seven Days"(Nitegrooves)をリリースした経緯について


"Seven Tracks in Seven Days"をリリースする前まで、約1年以上音楽を創っていなかった。 妻と離婚する事になったり、人生がすごくラウジーになっていた時期でもあったから。 サンフランシスコは、物価が上昇していって、生活する事がすごく厳しくなっていった。 自分の周りの友人達はどんどんと引っ越して行ってしまった。なんだか自分の人生を 無為にすごしていたような気持ちになった。それまですごく沢山の事を成し遂げてきたし、 自分なりには良かったと思っている。ライブ活動とは離れて、その間コミュニティーサービスや色々な事もやったりもしていた。 当時、何故かDubTribeとハウスミュージック自体から、気持ちが離れて行った時期でもあった。それまで、我々はレイブシーンの中で有名になり、顎ひげをはやして、DJ活動してきたけれど、すべてを捨てて人生を変えたかった事もあり、顎ヒゲをそり、自分が本当にやりたいこと、好きな事は何かを突き詰めて考えたんだ。そもそも自分はハウスミュージックを重要に思っていて、社会的、文化的に、ジャズのような存在に捉えていた。自分が一番好きだったのはジャズであったし、ハウスミュージックは、カルチャー的なものだと思った。 その一年間は、気持ち的にも滅入っていて、ディプレッションしていた。 しまいに、友人は自分の事をレインクラウドと呼ぶ様になって、これじゃまずいと 自分自身に新しい作品を創るとコミットメントをして、"Seven Tracks in Seven Days"に 取り組んだ。自分自身を変え、再びDJ活動をやるようになり、これが良くなろうが悪くなろうが、前向きに取り組んで行こうと決心した。その日からトラックを創りはじめた。

自分自身は、ハウスミュージックの創世記頃からシーンに関わりはじめ、なぜ自分は 音楽が好きなのか?を問いつづけ、自分は純粋にエレクトロニックミュ−ジックが好きだ という事に気がついた。 今回制作するにあたって、3つの制限を自分に課した。 それぞれのトラックには、3つ以上の要素を入れないが、そのトラックで 歌う事ができ、手拍子をとりハンドドラミングが出来るような音楽を創る事だった。 すごく自分にとってチャレンジだったけど、その結果、"Seven Tracks in Seven Days" を創る事ができた。そもそも自分にコミットメントをして、重い腰をあげて 前進するためにやったような感じだけど、作品が仕上がってみて、 すごく好きだし満足している。DJ活動も復活したし、自分自身が生まれ変わった ような気がする。自分が活動してきた10年間をリキャプチャ−して、そこから 更に前進するためには、この作品を創る事は、自分がアーティストとして必要な事だった。  この作品は、聴く人々達への僕からのラヴレターのようなものだよ。

 
 
 

●Early development
少年時代の音楽遍歴について


もともと自分はサンフランシスコ出身で、色々な文化や音楽に触れて育って来たんだ。 時々人々がサンフランシスコを語る時には決って”ヒッピー”を連想するけど、 自分が育ったエリアに住んでいる人達は”シビルライツ”について考えている 人達が比較的多かった。特に黒人の親をはじめ、政治的な急進主義者、それから ゲイの権利を主張する人々達が住んでいて、プロテストやデモンストレーション が盛んだった。周りにはあまりヒッピーは居なかった。 当時自分が良く聞いていたのは、ソウルやディスコ系の音楽だったけど、 70年代の後半あたりに、パンクロックに強い衝撃を受けたんだ。すごく大好きな音楽だった。 その当時の世界はだんだんと”プラスチック(見せ掛けだけ)”へ変化して行った頃で、 パンクロック自体を、プロテスト(反戦)として捉えて傾倒した。 78、79、80年には、パンクロックは、 Flamboyant(燃え上がるよう)で、 クロスドレッシング(中性的)だったから、多くのアート系の生徒たちが支持していた。 パンクはすごく創造的で天才的だった。 しかし、80年以降のパンクは、どちらかというとサヴァ−ビア的な 音楽になってしまった。スケートボーディング、グラムダンシングとかへ いってしまって、インテリジェントでは無くなってしまい、急に興味が冷めて しまった。それで、またディスコへ逆戻りしたんだ。 当時のシーンには、あらたにRapも出て来たり、ハウスのルーツになるような音楽が 出て来たりして、すごく面白かった。

〜続き

自分が育ったエリアはノースビーチ・テレグラフヒルという所で、白人が少なかった せいもあって、自分のニックネームは、”ホワイトボーイ”だった。 あまり好きなニックネームでなかったけどね(笑) 当時の自分は、何をやっていいか良く分らなかったんだけど、 ジャズやレゲエにも興味をもって聴く様になった。その頃、旅にも沢山行った。 大学ではグラフィックデザインの学位をとった。 特に音楽に希望をもっていた訳では無かったけど、87年にハウスミュージック に出逢って、すぐに自分はハウスミュージックが大好きになった。なぜなら 音楽を通して、みんなをひとつにするから。
80年代の終わり頃のハウスミュージックは、ブリテッシュから 色々な影響を受けてより大きな潮流となっていった時期でもあった。 新しいスタイルの音楽はイギリス〜NYで、すべてを変えてしまうくらい のスピードで進化をとげていた。 90年代には、ハウスミュージックは、色々な音楽に影響を与え、 多くのアーティスト達によって探究され、押し推められ、 さまざまな実験を重ね、更に進化をとげる礎を築いていった。

自分は90年代を通して自分の音楽を構築し、追求していた。 自分が音楽活動していた<Dubtribe Sound System>は、 レイヴシーンで有名だった。人それぞれによって, レイブの意味の捉え方が違うけど、我々が求めていたのは、 音楽を通して人々と一体になる事だった。 それを我々はハウスミュージックと言っていた。そして常にその上に新しい要素を 乗せて再構築していった。 そして今、2006年になりエレクトロニックミュージックは、全速力で色々な事が変化して、より細分化され専門的になっているように思えるけど、自分は独自のスタイル、変わり無い価値観をもっているので、それをずっと貫いていきたい。音楽を通して人々を一体にすることが、一番やってゆきたい事なんだ。 最近やっている事は、いままで創って来たものを再構築するために、TR606、TR808とかの リズムマシンを使って実験的な事をやったり、なぜ自分はエレクトロニックミュージックが好きなのか?を意識して音楽を創っている。適切なトーンやテキスチャ−を探りながら、 すごくシンプルな事だけど、それが自分にとっての音楽そのものなんだ。


●become a professional
"Dubtrib Sound System"として活動するキッカケについて

そもそも、我々はパーティイベントが主体のグループだった。 当時、仲間達とダウンタウンのフラットアパートで暮らしていて、 皆ハウスミュージックが大好きだった。 ある日、我々は家賃を大家に支払う事が出来ない時があった。 友達に頼んでお金を貸してくれるように頼んだんだけど断られて、我々のアパートを使って、Rentパーティを開く事を思い付いたんだ。部屋にある家具をすべて倉庫にしまって、ターンテーブル、スピーカーをならべて、自分達の仲間、その友人達すべてに声をかけて、 一晩中ライブパーティーをやったんだ。ものすごく楽しいパーティだった。 来てもらった人達からいくらかずつチップインしてもらって、どうにか家賃を払う事が 出来た。これがキッカケになって、それ以来、毎月6年間続けたんだ(笑)
当時のサウス・オブ・マーケット地区は、完全にインダストリアル・エリアだった。 我々の住んでいた2nd St, Bryceの向かいには、マ−ク・ポリーンの 「サヴァイバル ・リサーチ・ラボラトリィーズ(SRL)」があって、本当に あまり人が住んでいないようなエリアで、大音量でパーティーをやっても苦情 が来ないから、一晩中大騒ぎができたんだ(笑)


●94年にリリースした"Sound System" について

ある日我々がやっていたパーティを、他のクラブでもやらないかというオファーがあった。 他の場所でどうやってパーティをやるか良く分らなかったけど、 我々が持っている機材とかまとめて、クラブに持って行ってパーティーをやるように なったんだ。それがキッカケになって、全米各地から声がかかるようになって行き、 シカゴ、NYのクラブまで、友達のVanに機材を詰め込んでドライブして行った。 我々が一番最初にリリースした 作品"Sound System" は、我々のライブ活動のドキュメンタリーのようなものだった。 DAT Playerに我々のライブパフォーマンスを録音していったもので、まだ、PROTOOLのようなソフトウエアも無い時代だったから、Axis製の旧式のデジタル 2トラックエディターを使って編集をしていた。それが "Sound System" だった。 中身自体は同じものだったんだけど、友人のマラキーには、アンビエント系として捉えられていた。なぜなら殆どが120BPM前後のメローな速度だったからね。90年代初頭に 彼が我々をベースメントにある<コミュニティ>というパーティに呼んでくれて、 プレイしたんだけど、彼は130〜140BPMくらいのスピードのものがハウスと 思っていた(笑)


●How does music make U feel?

音楽は自分にとって人生そのものだよ。 いつも自分の頭の中で音楽が鳴り響いている。 今でも聴こえている。音楽は自分の全てだよ。 喜びでもあるし、自分の心の底から好きだと言えるもの。 音楽はトーンを通じて、本当に多くの人々と 会話が出来る素晴らしいものだよ。

do you have any message to your Fans in Japan?

アイ・ラヴ・ユー〜!

[取材協力:Hisa Isioka @ KingStreet Sounds,Yuko Ichikawa @ Yellow]
[Interview & Text by jun ide

Sunshine Jones

米西海岸のハウスシーンの礎を築いてきた面々のうちの一組こそ、サンシャインとムーンビーム ジョーンズ夫妻からなるダブトライブ サウンドシステムだが、2005年12月に惜しまれながら16年間にわたる活動を停止した。 90年代初頭にサンフランシスコを拠点に、まずは12ピースのバンド形態で自らパーティーをオーガナイズする事からスタートしたダブトライブ サウンドシステムは、エレクトライズされたサウンドにヒューマスティックな要素:アフリカン、カリビアンに大きく影響を受けたライブインストゥルメンツと融合、ダブの方法論でくるみ演奏してゆく、という当時としては時代を先取りし過ぎたスタイルで野外レイヴを軸に活動、ほどなくヒッピームーヴメントの地に旋風を巻き起こし、現在の西海岸ハウスシーンの礎となる交流を築いていく。 1994 年に発表されたアルバム『Sound System』は、オルタナティブかつ本物のディープネスに根ざしたダンスミュージックに飢えていた後のエレクトロニカ世代のベースを形成してゆくことになる若いアンダーグラウンドテクノ/ハウス系のリスナーの間に瞬く間に熱狂的なリアクションを引き起こす。

95年のアルバム『Selene Songs』は彼等の位置をポストレイヴ/アンダーグラウンドテクノ/ハウスのシーンを担うライブエレクトリックアクトとして確立する。 当初はOrganicoから作品を発表していた彼等は96年に自らImperial Dub Reordingsを設立、作品発表も自らのコントロール下に置く事に。 Imperial DubはダブトライブとDoc Martinのコラボレート= Doctor DUB名義の"Unification"をファーストリリースに、現在まで40作品以上を発表していて、DocやMark Farinaといった現在の西海岸を代表するDJが選曲/ミックスを担当したレーベルサンプラー的なミックスCDもその中に含まれる。今や Dubtribeとその周辺のタレントによる質の高い作品をコンスタントに送り出し続けるレーベルとして 西海岸のダンスミュージック界を代表するレーベルとなる。
1999 年にはメジャーレーベルJive Electroと契約、『Bryant Street』をリリース。 常にインディペンデントな姿勢を貫いてきた彼等が初めてメジャーの手を借りた記念碑的アルバムで、Imperial Dub から発表してきたシングル曲群をコンパイルするという側面も備えていた。 また、このアルバムは西海岸産ディープハウスの金字塔、あるいはハウスミュージック史上における最も重要なアルバムのうちの一枚という、驚ろくほどに高い評価を獲得する、文句のつけようのない出来だった。 また、"Equitoreal" "El Regalo de Amor"といった楽曲が世界中のダンスフロアーに響き渡り、彼等の人気を不動のものとした。

それから約4年の歳月を経てイギリスの大手Defectedから2003年にリリースされた、彼等にとって通算4枚目となるブランニューアルバム『Baggage』は彼等の大ヒット曲"Do It Now"以外はこのアルバムの為に制作された曲だ。 彼等不変のディープな魅力に満ちた内容で、UKからアルバムに先駆けリリースされた"Autosoul"は彼等の久々の復帰に応え、世界中のダンスフロアを揺らした。ソウルやファンクやダブやラテンやジャズやディスコやアンビエントを吸収したこのアルバムは、ソウルフルでトライバルな西海岸ディープハウスの最高峰としてのダブトライブサウンドの幾つもの美しい等身大の結晶となった。

2005年に発表された『Imperial Dub』を最後に解散する事を決定、一年かけて各地を廻る解散ツアーを企画する。 ツアー中にソロアーティストとして活動を継続していく事を考えたサンシャインは、一週間を通したレコーディングに取りかかり"Seven Tracks in Seven Days"を完成させ、Nitegroovesから2006年春にリリースされる予定である。 Frankie Knuckles, Marshall Jefferson, Robert Owens, Mr. Fingers, Ron Hardy といったシカゴハウスの伝説的なアーティストに影響されたというそのサウンドはDubtribeとは違った側面を聴かせてくれる。





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[取材協力:Hisa Isioka @ KingStreet Sounds,Yuko Ichikawa @ Yellow]
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