Omar オマー インタビュー


Omar オマー インタビュー (Omar Lye-Fook オマー・ライ-フック)
[Interview & Text by jun ide
取材協力:Yamauchi@P-Vine Records

RECENT WORKS
●2006年2月に前作 "Best by far"から、約5年ぶりに"Sing(if you want it)"をリリースし、 スティーヴィー・ワンダー、アンジー・ストーン、コモンなどが参加して、非常に話題になってますが、今作にかける意気込みについて教えてください。

このアルバムは、前作から5年ぶりのリリースでもあり、 自分にとって新しい始まりだと思う。今回はマネージャーとレーベルをチェンジして、 自宅にスタジオを構築したんだ。ツアーにも忙しく回っている。 久々のカムバックともあり強い印象のものをリリースしたかった。 なぜなら沢山のファンに長い間待っててもらったからね。 すごくラッキーだったのは、自分専用のスタジオを建設した事が、 すごくインスパイアされている。すごくいい経験をしたと思う。 音楽を創って行く上で、色々な心配事から解放されたかった。 スタジオ使用料の支払いや、何時にスタジオを出なくちゃいけないとか、 そういった事柄が、自分のクリエイティビティを台なしにするからなんだ。 もうそういった抑圧させるような事柄から解放された。すべてが良い感じに 流れ出す様になっていったんだ。アルバム製作する上で好い事だと思うよ。

アンジー・ストーンがこのアルバムに参加したキッカケは、彼女がたまたまロンドンに来ていて、電話をくれたんだ。丁度レコーディングしていたから、スタジオに遊びにこないか?って いって、彼女が来て2、3曲良い感じに歌ってくれたんだ。彼女もその曲すごく大好きになってくれた。ボーカルブースで、すこし待って貰ったりしながら、二人でジャミングしていって、我々がやったセッションはすべてキャプチャーしていたんだ。そしてそのトラックを編集して使ったら、すごく美しいくらい上手くいったんだ。なぜなら、彼女はエネルギーをこめて、情熱的に歌い上げたからだと思う。自分にとっても彼女と一緒に仕事した事は すごく良い経験になったと思う。

それから今作ではコモンとも一緒に仕事をしたんだけど、もともと自分もコモンの 前作『エレクトリック・サーカス』に参加している縁から、彼の方から 自分の今作に是非参加したいって言って来てくれたんだ。 自分が創ったトラックで、“Gimme Sum”という作品があるんだけど、 すごく良い感じのヒップホップトラックで、これに参加する?って聞いたら、 問題ないよって事になって、参加してもらったんだ。

このアルバムを製作する上で、チャレンジングと言えば、 法的なクリアランスにすごく時間がかかってしまった事だった。 弁護士オフィスに行ったり、レコードレーベルにいって交渉したりして、 参加アーティスト達のパフォーマンスを収録をしてよいかの許諾申請が 大変だった。それが一番のチャレンジだったね。 ミキシング、マスタリングをはじめ、音楽を創作する事自体は、 何の問題も無かったよ!! 法的な事だけが本当に大変だったね。

●どのトラックが一番思い入れが強いですか?

すべての曲は自分の子供みたいなもんだよ。 今作の中でいうならば、"Your mess"が気に入っているよ。 なぜならば、オールドスクールっぽい感じがよく出ているからだよ。 アース、ウィンド&ファイアのような雰囲気もあるしね。 すごくグルーヴ感が気に入っている。全体的にアルバムの仕上がり に関しては、ハッピーに思っているよ。


 
 
 






Foundation development

●90年代初頭より活動を開始し、現在もUK Soulのアイコンとしてご活躍されてますが、 そもそもの出身地であるカンタベリーからの、音楽ルーツについて教えてください。

基本的に、自分の根底にはアフリカンがあって、そのテイストは 自分の音楽に取り入れている。それはジャズであったり、ソウル、 ファンク、レゲエ、ラテンなど。 それに一部のクラッシックミュージックも、アフリカンの影響を受けているものも あるくらいなんだ。音楽をアフリカンルーツから切り離す事はかなり難しい事だと思う。

自分が7、8才頃に地元カンタベリーの小学校で、コルネットをはじめ、 ピアノ、パーカッションなどを習った。それから週末のサタデー モーニングスクールに通いながら、クワイアのブラスバンド チームに所属して、子供のオーケストラに参加した。 その後にパーカッションに興味を持ち、パーカッション打法やジャズアンサンブルなど、本当に沢山の音楽を学んだと思う。 それから学費の安いマンチェスターにある音楽専門学校に行って、 2年間本格的に音楽を学んだ。

●当時、どんなアーティストの音楽を聴いて育ち、影響を受けたアーティストについて教えてください。

少年時代に特に良く聴いたのがスティービー・ワンダーだった。それに レベル42とか、ジェフ・ローバーなどのジャズ・フュージョン系アーティスト にも興味があった。そしてクラシック音楽も聴いていた。 オーケストラの中でも、ドビュッシー、モーツァルト、ショパンとか、 色々なタイプのものを聴いていた。 それから17、18才頃から、ロンドンの方へ遊びに行く様になって、 パーティやクラブに通いだした。その頃からレアグルーヴやラヴァーズロック・レゲエ のアーティストを聴き出すようになったんだ。それがキッカケで いままでの音楽活動のペースを変えスローダウンしていった。 当時、自分は沢山のスタイルの音楽に触れていくようになった。


●オマーの父親はセッションドラマーであり、デスモンド・デッカー(というレゲエ・アーティスト)のバンドでも活躍されていたそうですが、家族にどんな音楽的な影響を与えたんでしょう?

たぶん父親が自分達兄弟3人に、彼の遺伝子を受け継がせたんだと思うよ。 自分をふくめ、2人の弟達も音楽的な才能が与えられたんだと思う。 我々は3人ともドラムを叩き、真ん中の弟はDJでMCをやり、 一番下の弟はキーボードを弾くし、DJもやる。 でも、自分がティーンネージャーになるまでは、父親とは一緒に生活は していなかったんだけど、音楽に対する気持ちは影響を受けていたと思う。 それは家族の絆みたいなものだ。


●学生時代にどんなキッカケで本気で自分自身 の音楽に取り組んで行こうと思ったんですか?

学生時代、音楽は自分の人生にとって、常に重要なものだという事はわかっていたけど、 自分にどれだけ許容力があるのかが、まだ不確かだった時期もあった。 当時の自分はオーケストラを演奏するブラスバンドに所属していて、 いつも音楽をやってゆきたい事は分かっていた。 そして自分にとって方向転換でもあった出来事があったんだ。 それはカレッジのオーケストラアンサンブルの授業を、 2時間座り通しで受けているのがつまらなくて耐えられなく なっていったんだ。 指揮者はブラスセクションを1時間30分もリハーサルしているなか、 我々はトライアングルをちょこっと鳴らす順番を待ち続けていた。 いつも 自分のパートが来るまで、ずっと待ち続けているんだけど、 結局回ってこないから、ある日教室から出て行ってしまったんだ。 自分にとって、もう充分って感じだったよ。 なぜなら、どちらかというと自分は皆の前で、何かパフォーマンスしたりするのが 好きだったからね。自分自身もそう思っていた。それ以来変わったんだ。


●そもそもイギリスとアメリカのブラックミュージックの違いって何ですか?

イングランドは、明白にジャマイカン音楽の影響を受けていると思うし、 イングランド的な影響を受けているアーティストもいると思う。 ボブ・マーリー、コートニー・パインのミクスチャーとかね。 アメリカにはジャマイカン的なコートニーのルーツのものはないんだ。 アメリカはどちらかというとジャズ、ゴスペルにルーツを受けていると思う。 イングランドの音楽はすごくユニークだと思う。

Early stage development
●90年代初頭、[kongo dance]から、 "There's noghing like this"を リリースしましたが、その後[talkin' loud]から正式リリースとなった経緯について教えてください。
※1st place on UK soul chart for 9 weeks, sold 30,000 copies

まず [kongo dance]からは、一番最初に自分の音楽を外へ知らせるためにリリースしたんだ。我々はこのアルバムを色々なレコードレーベルへと 売り込みをしたけど、ほとんどのレ−ベルが興味を示さなかったんだ。 なぜなら当時はアシッドハウスが人気があって、あまり興味を持って 貰えなかった。だから、我々は自分達で1stをリリースする事を決めたんだ。 そしてアルバムのセールスが大きなプロモーションやTV CM, ラジオ、ビデオとか一切無しで、人々がアルバムの存在に気付き、成功したんだ。そしてこのアルバムをインターナショナルに やってみたかった。それを実現するレーベルは、"トーキンラウド"が 一番パーフェクトだと思った。その主宰者であるジャイルス・ピーターソン とノーマン・ジェイ達は、自分の音楽嗜好的にも、彼らが聴いている音楽など近い ものがあった。その中で自分も色々と再構築してみたかった。レーベルには、ガリアーノ、 ヤング・ディサイプルス、インコグニートとかも所属していて、我々はこの カテゴリーの中に上手くフィットしたんだ。 自分にとって所属した理由は明白だとおもった。

●そして、[talkin' loud]主宰のジャイルスピーターソンとどんなキッカケで出逢ったんですか?

たしか当時のマネージャー経由でジャイルスを紹介してもらったんだと思う。 彼がアルバムを持って色々とレーベル回りをしていた時に、ジャイルスが、 "There's noghing like this" にすごく興味を持ってくれて、リリースする事 が決まった。
当時8トラックレコーダーを使って、まず最初のデモトラックをつくったんだ。 そのあとに、スタジオに入り既製の24トラックでリエディットして、 マスタリングした。自分はこのアルバムの中で、ベース、ドラム、キーボードを 演奏している。以前はギターも弾けたんだけど、最近ではもう弾かなくなった。


●90年代初頭ロンドンでは、アシッドジャズが盛り上がってましたが、 当時はどのクラブが人気あったんですか?
いつも我々が通っていたロンドンのクラブといえば、”ソウルキッチン”だよ。 毎週木曜日の晩にプレイしていた。 当時は、ほとんどのクラブが同じような曲をプレイしていたよ。 それに酒代がすごく高かったよ。だからそんなに頻繁にはハングアウト出来なかった(笑) そこが一番最初に通い始めたクラブだったよ。あと、サブトレーニアっていうクラブも 行ってた。

●現在でも一番お気に入りのライブハウスは?

ロンドンで一番気に入っているライブハウスと言えば、ジャズカフェだと思う。 適度なフロアサイズのベニューで、音響も良いし、クラウドもファンキーでいつも良い 感じだよ。他でも色々とやってきているけど、ジャズカフェがいちばんコンスタントに ライブを続けているよ。

Mid stage development
●ターニングポイント
1994年、BMGと契約を交わし、レイ・へイデン(Ray Hayden)、ジェイ・グレイドン(Jay Graydon)ら敏腕プロデューサー達と、『フォー・プレジャー』をリリースしましたが、どのような経緯だったんでしょうか?


たしか、このディールに関しては、*キース・ハリスがまとめてきたと思う。 彼らはこの契約によって、自分を次ぎのレベルへとキャリアを持ち上げようと 画策していたようだ。 だけど、色々な理由から自分自身が気持ち的に沈滞してしまったんだ。 自分のやって行きたい事をレーベル側に認知させることがどれだけ 大変かを思い知った。レーベル側が自分にやらせたかったこととの 意見の食い違いもあった。 企業として、レコードを世界中にセールスするためには、プロモーション、 マーケティングとか色々なことを、関係者がやらなければならない。 レコードショップの棚にレコードをいれることは大変な事なんだ。 あのディールでは、そのベーシックな事がきちんと起らなかったかもしれない。 本当に涙が出るような思いもしたよ。 とにかく、自分自身は前に進んで行かなければならなかったし、 今でも継続して音楽を創り続けていられるだけでも感謝しているよ。

*注釈:キース・ハリスは当時のオマーのマネージャー


●その後、長年の夢であった、Syreeta Wright(Ex wife of Stevie Wonder) とのコラボレーションが、オマーがプロデュースした“Lullaby”(『ディス・イズ・ノット・ア・ラヴ・ソング』収録)によって 実現しましたが、リリースの経緯について教えてください。

自分にとってSyreeta Wrightは、大好きな女性ボーカリストのひとりだったから、 いつか彼女といっしょに仕事がしたいと思っていた。当時、幸運にも彼女はスケジュールが フリーだったから、自分が創った曲を、彼女に歌ってもらえばパーフェクトだと思った。 そして実際にこの曲を彼女に歌ってもらった時には、思わず涙が出たほどだった。 なぜなら彼女は本当にスイートで美しいヴォイスを持っていたからね。 そしていくつかの曲を彼女へ作曲してあげたんだ。すごく泣きたくなるほど、僕を 幸せな気持ちにしてくれた。 リリックを書くにあたっては、本当に最適な場所で、偶然のタイミングで 起ったんだ。彼女と仕事する前に、他のアーティスト達とも仕事をしていたんだけど、 いつでもこのような事が起きるとは限らない。 彼女と仕事をした時は、パッと閃いて、彼女に対する敬意を 持って、すぐに書き上げる事が出来たんだ。 惜しくも最近彼女は他界してしまったけど、その前にいっしょに 出来て光栄だった。すごく悲しい出来事だったけど・・・。


●そして、98年には、ジャネット・ケイの"Making History"をプロデュースしましたが、どんな経緯でリリースしたんですか?

その当時、マンチェスターのカレッジ時代の友達が、ジャネットケイのプロジェクトに 参加させてくれたんだ。その友達とそのまた友達のマックス・ビーズリーが、ジャネットの 曲をプロデュースしていたんだ。 マックス・ビーズリーは、いまでは俳優になり、マライア・キャリーのグリッタ−っていう作品にも出演している。 当時、彼らはジャネットに提供した曲で、別バージョンのトラックのプロダクション をやろうとしていたんだ。自分も参加させてもらって、いくつかトラックをプロデュースする事になったんだ。“Lovin' You”、“Imagine That”とか、より彼女のフィーリングを感じられるように 仕上げたんだ。それに加えて、ちょっとだけ、オマーのフィーリングもいれた。


●2000年には、エリカ・バドゥ、アンジー・ストーン、ケレ・ル・ロック、バート・バカラック、 ラロ・シフリンなどが参加した"Best by far"をリリースし、Bart Bakarac, Ralo Siflin'sなどのサンプル使用した非常にユニークなアプローチで製作したようですが、どんな経緯でプロデュースしたのでしょうか?
"Best by far" で、自分がやりたかったのは、”シネマティックフィーリング”を 演出してみたかった。Bart Bakaracのオーケストラのアレンジメントが ファンキーな要素も根底にあったりして、すごく好きだった。 自分もそれに近いアプローチでやってみたかったんだ。 Bart Bakaracとも一緒にやりたかったんだけど、彼のスケジュールの都合が 押さえられなかったから、サンプルさせてもらい、それを使って色々と試してみたんだ。 その時は何か使えそうな感じがした。
それから、ケレ・ル・ロックともいっしょに仕事をした。 彼女がシュガーベイブスといっしょにイギリスのTV放送番組で、共演して歌ったりしていたのを思い出した。彼女の魅力的な歌声は すごく印象強かった。それから曲を書き始めて、だんだんと彼女にも歌ってもらう事が いいことだと直感したんだ。
エリカ・バドゥも、たまたまロンドンに来ている時に電話をくれて、 レコーディングに参加してくれたんだ。 そして"Be thankful"という曲を歌ってみる?って提案したら、 歌ってみたいって言ってくれたから、録音したんだけれども、 結局は、彼女の所属レーベルと契約上のトラブルから、収録がなかなか実現できなかった。 そしてアンジー・ストーンがバックアップでやってくれたんだ。 だからあの曲は2バージョンある。どちらもすごくいい仕上がりだったと思う。


●いつもどんなことに気をつかってオマー自身の音楽を創ってますか?

それはファンキーでいて、人々がグルーヴ出来て、歌う事が出来て、 ム−ヴ出来ることだよ。 自分も音楽を創る事をすごく楽しんでいるよ! なぜなら、もし音楽を創る事を楽しんでいなければ、それはすごく疑問だよ。 どうして自分がエンジョイしていなくて、他の人々がそれを聴いて楽しめるの?! 今作を創る事はすごく楽しんで創る事が出来たと思う。 ファンの皆がエンジョイして聴いてくれる事を願うよ。

スタジオの中にたったひとりだけで、音楽をつくるのでは無く(時々はそうした方がいいのかもしれないけど・・・) 自分は、音楽の中にミュージッシャンとのプレイを、取り入れて行くようにしている。 他のミュージシャン達と一緒にプレイする事によって、ある種のヴァイブレーションを 感じながらやれるからなんだ。70年代のオールディーズ・ソウルとかのレコードにある雰囲気が 好きなんだ。いつも多くの人々が一緒に仕事をして、サウンドを創り出しているから、 そこにある種のヴァイブレーションを創り出す事ができる。 それと同じような事を自分でも再現してみたいんだ。 ストリングをつかったり、ブラスをつかったり、パーカッションを使ったりしてね。 それは自分にとって、よい音楽を創る事を学んでゆくプロセスのひとつでもある。


●次の活動予定について

これから積極的にこのアルバムをプロモーションして、 サウスアメリカ、オーストラリア、インドネシアなど、 色んな国にツアーに出る予定だよ。 今、自分は、より多くの人たちに対して自分の音楽を 届けに行きたいと思うんだ。より多くの人たちがオマーのサウンドを 知覚する事を願うんだ。

CONCLUSION
●How does music make U feel?

It's great! 音楽は自分の表現の一部分のようなものだよ。 ライブでいままで会った事も無い沢山の人たちの前で歌う時、 そのファン達が自分の歌を知っていて、口ずさんでくれるのを聴く時、 なんとも言えない最高の気持ちになれるよ。それに元気いっぱいになる 事が出来る。何とも言えない良い仕事だと思う。歌う事が自分の仕事なんて すごくラッキーな事だと思う。好きな時にベットに入って、好きな時に仕事に いく事が出来る。自分の仕事は自分自身を表現する事なんだ。だからいつでも 感謝の気持ちを忘れずにいるんだ。

●日本のファンの皆さんへメッセージをどうぞ!

日本のファンの皆にありがとうの気持ちを伝えたい! ずっと昔から今に至るまで熱意と愛を持って サポート してくれてありがとう! これからも皆が楽しめる音楽をずっと 創り続けていきたい! 

[Interview & Text by jun ide
取材協力:Yamauchi@P-vine Records

 
 
 

OMAR (オマー・ライ・フック)

その実力が高い評価を受けているシンガー/ソングライター/ミュージシャンのオマー・ライ・フック(オマー)は、UKのアーバン・ソウル・アンダーグランド・シーンでかつてない影響力のある存在として君臨している。1969年にイングランドのケント州の都市、カンタベリーに生まれた(チャイニーズ‐ジャマイカンの父とインディアン‐ジャマイカンの母を持つ)オマーは常に音楽と共に歩んできた。彼はケント・ユース・オーケストラの第一打楽器奏者として活躍し、後にロンドンのガイドホール音楽院に進む。音楽の道でキャリアを積むことを決めると、この豊かな才能の持ち主はモータウン(H-D-H)やフィリー・ソウル(ギャンブル&ハフ)、 スティーヴィ・ワンダー、そしてマーヴィン・ゲイら、レゲエ/ラガ、ダブ、US ヒップホップ、ジャズ、そしてロンドン・アンダーグラウンド・シーンで繁栄している多次元的なアーバン・サウンドなど、様々な音楽が融合された彼独自のユニークなソウル・ミュージックを模索し始めた。

1990年、オマーはUKのインディレーベル、コンゴ・ダンスと契約を結び、ここでフルレングスのデビュー・アルバムの制作を開始した。両A面のデビュー・シングル“Mr. Postman”と“You and Me”(フィーチャリングはSoulSoulのヴォーカル、キャロン・ウィーラー)のリリースにより、オマーはアンダーグランド・シーンで一躍人気を博す。
驚くことに、シングルはプロモーションや広告などの展開が一切ない中でUKチャートの60位を記録し、彼の名前が突如あらゆる場所で聞かれるようになった。1990年12月に行われたハマースミス・オデオンでのライブをはじめ、高い評価を得た多数のライブをこなしたのち、DJ/tastemakerでありTalkin’ Loudに代表されるPhonogram/Mercury Records UKのオーナーでもあったジャイルス・ピーターソンからアプローチを受ける。その後オマーはTalkin’ Loudと契約し、1991年初めにデビュー・アルバムを再リリースした。デビュー作『ナッシング・ライク・ディス』のタイトルトラックはUKチャートで20位を記録、アルバムは批評家の間でも絶賛され商業的にも成功を収めた。これでオマーはUKのソウル・アンダーグランド・シーンやインコグニート、ヤング・ディサイプルスやブラン・ニュー・へヴィーズなどにより発展したアシッド・ジャズ・シーンにおいて傑出した存在となった。
[ブルースインターアクションHPより抜粋]>>つづき>>



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[取材協力:Yamauchi@P-Vine Records,Interview & Text by jun ide

Omar interview by jun ide/ オマー特別独占 インタビュー: (Omar Lye-Fook オマー・ライ-フック)
Omar exclusive interview by jun ide/
オマー特別独占 インタビュー: ア−バン グル−ヴ ネットワーク

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