Jazzanova interview
ルイ・ヴェガ インタビュー(Louie Vega)

ルイ・ヴェガ インタビュー(Louie Vega)
[Interview & Text by jun ide
Supported by Hisa Ishioka, Shoji Kibe@ King Street Sounds

Early development
●少年時代ブロンクスで家族と一緒に、音楽に囲まれて育ったそうですが、どんな影響を受けましたか?

自分は家族から音楽的に多く影響を受けて育ったと思う。特に自分の叔父である 故エクトル・ラヴォー(ファニア・オール・スターズのスター・シンガー)は、 NYサルサ界の中でも最高のシンガーで、 自分にとって、一番大好きなプロデューサーのひとりでもあるんだ。 自分は幼い頃から、彼のパフォーミングを見たり、音楽を聴いたりして、 彼の活躍を見て育ってきた。いまでも思い出に残っている事は、彼が試作版 の45盤を家に持って来て、母親と自分に聴かせてくれたのが、すごく印象 に残っている。彼自身のキャリアはすごく発展的なものであったし、彼はシンガーの中のシンガーだったと思う。 自分は13才頃からDJを始め、本当に沢山の音楽を収集して来た。 自分自身が成長する過程で、特に彼の後期の作品から色々と学ぶところもあり、彼の作品をすべて収集していた。 そして、自分の父親はサックスプレイヤーだったから、家の中でいつもサックスを練習していたのを覚えている。 そしてある日、自分にピアノを与えてくれたんだ。それから5年くらいクラッシックの ピアノレッスンを受けていた。そういった環境が、自分自身の音楽活動に大きな 影響を与えていると思う。 それから、メインストリームのポップミュージックを聴き始めるようになった。 例えばエルトン・ジョン、アース・ウインド・アンド・ファイアー、レッド・ツエッペリン、 ハービー・ハンコック、自分は本当に沢山の種類の音楽を分け隔てなく聴いて、NYの街で育った。






●ブロンクスでのブロックパーティについて

少年の頃、ブロンクスのストリートから受けた影響は、アフリカ・バンバーダ、ジャジー・ジェイとかを、近所のブロックパーティでリアル体験していたんだ。 自分の家から1ブロック隔てたところで、気軽に音楽に触れる事が出来て、よく彼らのかける音楽を聴きに行って、彼らにすごくインスパイアされたんだ。 実際にジャジー・ジェイは、自分にとっての良きメンターでもあったから、DJに関する色んな事を彼から教わったと思う。

●どんなキッカケでDJを目指すようになったのですか?


当時、ジャジー・ジェイ、アフリカ・バンバーダ、レッド・アラートとかを 見ているうちに、本格的にDJをやって行きたいと思う様になった。 そして70年後半〜80年初期に、パラダイスガラージに遊びに行く機会があり、 ラリー・レヴァンのプレイを見たり、サウンドシステムを通じてプレイを聴いたりして、 すごく影響を受けたと思う。フロアでダンスを踊り、その場をリアル体験する事ができた。 彼の音楽を通して、ジャーニーに行く気分を味わう事ができた。それは自分にとって かけがえのない体験だった。そこからジェリー・ビーン、トニー・ハンフリー、 デイヴィッド・モラレスとか、どんどんと発展していって、自分自身も色々な クラブでDJのプレイを見て来て、すごくインスパイアされた。


Become professional <mid 80s- early 90s>
●80年代半ば頃からDJ活動をするようになったそうですが、当時一番影響を受けたDJについて教えてください。

当時を振り返ってみると、 自分には年上の姉がふたりいて、彼女達は本当に色々なクラブに遊びに行っていた。例えば"LOFT"、"Studio 54"などNYCのレジェンダリークラブに行っていた。 特に"LOFT"に関しては、姉のひとりが71年頃に通っていて、シーンの黎明期から長い間見て来た。  姉はそこから自分が今までラジオとかで聴いた事もないような、アンダーグラウンドミュージックを家に持ち帰って来て、 当時10才くらいだった自分は良く聴かせてもらっていた。"LOFT"は、自分にとってブループリントのような存在なんだ。

アマチュア時代だった1980-1985頃は、友達と一緒にブロックパーティでDJをしていた。 自分の機材を持ち込んで、沢山の人々が集まって、本当に楽しい時をすごす事ができた。結果的には、85年頃に初めて本格的にプロとして、サウスブロンクスにある ダブルネスっていうクラブでDJをするようになった。そこからDJキャリアが始まったんだ。以来、一年近く経て、ようやくNYCの"HOUSE LAB"(ex.Funhouse)でDJをするようになった。そこには物凄く大きなサウンドシステムが装備されていたのを覚えている。 それから"Studio 54"や"RoseLand"でプレイするようになり、自分は長い間、多くの ヒスパニック系、アフリカンアメリカン達のクラウドの中で活動してきた。 自分にとっても、特に1985-1990年の間は、本当に最高の時代を経験してきたと思う。 85年には、はじめてレコーディングする経験も出来て、ティーンネージャーだった頃のDJ経験は、本当に掛け替えのない事なんだ。 それから90年初頭までの間に100曲近くレコーディングした後、約1年半の期間ブレイクを経て、91〜92年頃から ハウスミュージックにフォーカスするようになったんだ。それまでもハウスミュージックは、常に自分の フリースタイルミュージックのセット中で、レゲエ、ヒップホップ、クラッシクスと同様に、本当に幅広く一晩でプレイするのが自分のスタイルなんだ。 90年初頭には、トッド・テリーと一緒にハウスミュージックを創るようになり、 その頃にケニー・ドープと出逢い、我々はマスターズ・アット・ワークを結成する事になったんだ。自分達が創る音楽をアウトレットするものが必要だった。

 
 
 



●マスターズ・アット・ワークの相棒である、ケニー・ドープとの出逢いについて

ケニ−とは、もともとトッド・テリーを通じて知合ったんだ。 彼が持っていた曲だったと思うんだけど、 シリア・クルーズや、シルベスターをサンプルしたもので、すごく良いグルーヴ だったんだ。それを聴いてトッドに、これをリミックスさせて欲しいと提案したら、トッドが ケニーに会った方がいいと言って紹介してくれた。彼はレコードセンターという、ショップで働いていて、 すごく良い奴だから、きっと仲良くできるよと言って、引き合わせてくれたんだ。 そして後日、彼とフックアップして、ブロンクスの自分の家でハングアウトするようになった。ドラムマシンと キーボードがあったから、我々は意気投合してビートの話とか色々と語り合った。 それから今度はケニ−の家に遊びに行って、彼の持っているギアをチェックして、それ以来、我々はレコード制作するようになった。 その後に自分はマーク・アンソニーのデビュー作品"When the nights is over"を手掛ける事になった。 この作品は、6〜7ヶ月くらいの期間作業をしており、ケニ−をスタジオへ呼んで、 ビーツを一緒に創ったんだ。こうやって二人でアイディアを出し合い、活動を共にするように なったんだ。自分自身、どんな風な作品にしたいかイメージがあった。
ケニ−の持つ、ヒップホップ的センスと、ダンスミュージックが大好きだった事、 そして、自分もダンスミュージックが大好きで、ヒップホップで育った事が共通していた。 自分の持っているラインエレメントと、彼のフレヴァーを融合させて、 マスターズ・アット・ワークが出来たんだ。

 
 
 


●97年に名作"NuYorican soul"をリリースしましたが、どんな経緯で創られたのか教えてください。

90年頃から ケニーと自分は一緒にレコード制作をするようになり、 沢山のリミックスワークを手掛ける様になった。ちょっと面白いんだけど、 それまで自分は、どちらかというとポップ系ダンスミュージック、ラテン系 ヒップホップをやっていたから、多くのリミックスワークの殆どは、ポップアーティスト からのオファーが多かったんだ。例えばデビィー・ギブソン、クリス・クエーヴァス、 サナティアンとか、どちらかというと、オルタナティヴ系とか、よりメイン ストリーム系に近いアーティスト達だった。 彼らと我々はリミックスワークの契約をして、仕事をしてきたんだけど、 ちょっとした思い付きで、ケニ−に、我々も世に名前を出した方がいいからB面を使って、我々のスタイルをアピールしようって言ったんだ。 彼らのオリジナルからフック部分を抜き出して、 我々のやりたいようなスタイルの ハウスミュージックを創ろうっていったんだ。 これが後に、マスターズ・アット・ワーク・ダヴになっていったんだ。 これがキッカケになって、多くのアーティストから声がかかるようになった。 マドンナ、マイケル・ジャクソンとかを始めとする、本当に沢山の有名アーティストを 手掛ける様になった。

93年になる頃には、我々は約100枚以上リミックスワークをしてきて、 リミキシングに明け暮れていた。そしてワーナーブラザースの、 あるアーティストの作品のオルタナティブテイクが あって、そのトラックに、少し変わったコードを被せて試していたんだ。 そこへケニ−がハウスビートと少し違う、シンコペイテッドビートを被せて行ったら、 すごくミステリアスなトラックになったんだ。さらにその上にベースラインを乗せていって、 これがキッカケで"ナーバストラック"が誕生したんだ。 そこへ思いつきで、パーカッショニストを呼ぼうって事になって、すぐにブルックリンの友達を呼んだんだ。ラテン要素、 ジャズ要素をすべてコンバインしてみたんだ。 トニ−がすごいパーカッションを叩いてくれて、それからサックスを吹き込み、 色々とやった。ちょうどその当時ドラムンベースがだんだんと勢力をあげて 来た頃で、そのトラックをドラムンベース、ヒップホップ、ハウスミュージックの 色々なシーンの人達に聴いてもらったら、結構反応が良くて、サウンドファクトリーバーとかでも、 よくプレイした。 それから、ファンクマスター・フレックスをはじめ、本当に沢山の人々が"ナーバストラック"を 気に入ってくれたんだ。 それにジャイルス・ピーターソンも"ナーバストラック"を気に入ってくれた。 彼から電話で連絡を貰って、トラックがすごく良いから、これをアルバムにした方がいいって提案されたんだ。 もともとケニ−と二人で計画はしていたんだけど、海外の 人たちからも、そういう風に言われた事についてすごく嬉しかった。


●続き〜"NuYorican soul"アルバム制作時のエピソード〜


そして、"ニューヨリカン・ソウル"の話に戻すと、もともとこのネーミングは、 インディアからの提案だった。当時我々はプロジェクトの名前を思案していて、 自分も"ニューヨリカン"っていう造語が気に入っていて、彼女から"ニューヨリカン・ソウル"って、 思わぬネーミング案がすぐにハマったので、"ニューヨリカン・ソウル"に 決ったんだ。
ケニ−と自分はこのプロジェクトについて色々と思案していて、我々がリレーションシップをもっているアーティストや、 我々がインスパイアされて来た。色々なアーティストに参加してもらえるように、コンタクトしてみようって事になって、 まずは、ティト・プエンテから始めたんだ。彼とはもともとマーク・アンソニーのアルバム で一緒にやった事があった。そしてインディア、リヴァー・オーシャン、ティト・プエンテ、ジョセリン・ブラウンに話しをしたら、快諾してくれて、そこからスタートしたんだ。そしてロイ・エアーズにも 声をかけるチャンスがあった。それまでずっと彼を追い掛けていて、ある日彼が"シェルター"でプレイしに来た時に、 早朝6時に彼に会う事が出来た。デモの"ナーバストラック"を彼に手渡して、「今我々は、ティト・プエンテ、 ジョセリン・ブラウン、インディアをはじめ、色々なアーティストと大きなプロジェクトを創っていて、是非参加して欲しい」 とお願いしたんだ。そして後日、彼から電話で連絡があり、このプロジェクトに参加する事になった。 それから、それぞれの楽曲をどういう作風にするか色々と検討し始めた。

そしてヴィンス・モンタナは、自分にとっての、ヒーローでもあったから、いつか彼と何か作品を創ってみたいと思い続けていた。ストリングスのアレンジとか、ホーンとか、 美しいパース部分を創ってもらったりしたかった。 しかしこれを具現化するにあたって、最大のパートは、自分がインディアに対して、リメイクするとしたら、 どの曲を一番やりたいかって聞いたんだ。そしたらインディアが、"ランナウエイ"を歌いたいって事になって、 彼女が"ランナウエイ"って言った時に、瞬時にヴィンス・モンタナって、閃いたんだ! 我々は、ヴィンス・モンタナの所へ行かなければと思ったんだ。そして彼にこの曲を やって欲しいとお願いしたんだ。彼自身も、すごくハッピーに対応してくれて、 このプロジェクトに参加する事を快諾してくれた。我々は、フィラデルフィアで、 最高のレコーディングをやった。サル・ソウルオーケストラのオリジナル ストリングセクションを再現できて、本当に最高に美しい経験をさせてもらった。 彼は、即座に我々のやりたい事を理解してくれた。我々は、ミュージカル セグウエイをやりたかったんだ。 70Sディスコソング〜ラテンジャズソングとかを、ストリングスで自然に繋げるようなイメージを、 彼はすぐに理解して実現してくれたんだ。単に1つのレコードから次ぎへやるのでは 無くて、流れる様に継続した形で表現したかった。ヴィンス・モンタナは、ランナウエイ〜Shoshnaに繋ぐ、 本当に美しいストリングアレンジメントを書いてくれた。 そして、彼にその次ぎにやりたいチューンのアイディアを聞かせたんだ。 テンポチェンジも含めて、ステップ・バイ・ステップで、彼はそれも実現させたんだ。 そして、パーフェクトにも、インディアは、バイリンガルであったから、 英語で歌い、そしてスパニッシュでも歌いたいって言ったんだ。 フレーバーとエレメンツを保ちつつやれば、スパニッシュでもいけるって 言ったんだ。そして彼女はスパニッシュ版も歌い、それがセグウエイとなって、 ラテンジャズチューンへと繋がって行くんだ。全体的にこの作品はそういうアプローチで、 マナーを保っていったんだ。


 
 
 


RECENT WORKS
●Mix the Vibe series "For the love of Kingstreet"をリリースする経緯について

HISA(KingStreet)と自分との間で、以前から彼がMix of the vibeコンピレーションをやろうっていう話しを貰っていて、 ずっとこのプロジェクトについてアイデアを考えていたんだ。 そしてようやくこのプロジェクトが実現する事になり、すごく気に入っている作品である。 このコンピを作るにあたっては、現在の作品〜随分昔の作品まで遡って選曲する機会があり、自分とキングストリートの 長い歴史の間から、多くのトラックを選曲することが出来て、すごく素晴らしいプロジェクトだった。KingStreetは、 年を通して本当に沢山の名曲を輩出していると思う。

●数あるトラックの中から、どのようにして選曲したのでしょうか?

自分自身、それぞれの曲に対して、すごく長い関わりあいがあった。その中のチューンには、 当時自分がレコーディングした作品であったり、ある曲はサウンドファクトリーバーで、 本当に沢山プレイしたりしてきたものでもある。それに現在でも、良くプレイする作品が沢山あるんだ。 今作では、自分の一番気に入っているチューンを中心に収録したんだ。 それぞれのチューンで、まだ色々とやってみたかった。クラブでプレイしたり、 良いタイミング、良い場所でこれらをプレイした時に、他のDJ、ミュージシャン達が インスパイアされ、プレイしてくれるようになればいいね。

●今作に収録した中で、思い入れの強いトラックについて

すごく気持ちが入り込んでいるチューンもあるよ。例えば、モンドグロッソの作品で "Souffles H"とか、Charles McDougaldの "It's The Music"っていう作品、それから Tears Of Velvaの"The Way I feel"とか、"Show Me"とか、本当に沢山のレコードに対して、 思い入れがあるよ。自分自身、こういった音楽に対して、本当に素晴らしい時と、深い感情を抱いている。 特にサウンドファクトリーバーやダンスリチュアルとかのパーティーは、約12〜15年近く続いて来ていて、 そこでは本当に良い時を過ごし、良い人たちと出逢う事が出来たと思う。 もともとは、ヒサと最初に話していた時は、1CDの予定だったんだけれども、 ちょっとアイデアを考えていくうちに、KingStreetは、本当に沢山素晴らしい作品があるから、 4CDくらいできたかもしれないけど(笑)90年初期から現在に至るまでの作品を、一枚のCDに収録するのは難しいと思い、 HISAに二枚組でやらせて欲しいと提案した。二枚を通して、KingStreet作品のジャーニーをリスナーに提供したかったんだ。

 
 
 

RECENT WORKS
●"elements of life"をリリースした経緯について

基本的に"elements of life"の一番大きなインスピレーションは、 自分の妻と子供からだった。息子のニコと妻のアナーネが、 自分にこの作品を創作したいという気持ちを、インスパイアさせて くれたんだ。人生をセレブレートし、ファミリーが一緒になるような作品を創りたかった。 家族と一緒にいる事により、この作品をインスパイアされ、 今までの自分のインフルエンスを盛り込み、ワールドミュージックをダンスミュージックの 中に取り入れる事をやってみたかった。そしてその中にヒストリーを取り入れたかった。 このアルバムは、本当に沢山の異なるものを取り込みつつ、視点は自分の妻と息子を 中心にしているんだ。 自分が長い期間いっしょにやってきた人たちと、スタジオのミュージシャン達と いつか自分もバンドを作る事を夢見ていたんだ。ニューヨリカンソウルでも、 実現出来なかった事もあるからね。なぜならあのプロジェクトは、どちらか というとオールスターバンドだったから。以前少しだけ少人数でリズムセクションをやった事もあるけど、 エレメンツ・オヴ・ライフでは、ひとつ上のレベルへと押し上げたかったんだ。 バンドを結成し、自分自身もメンバーと一緒にステージ上にのぼり、ディレクティングや オーケストレーティングをやり、自分がいままで作って来た曲を実演し、生命を与えたかった。

●約10年前にリリースしたNuyorican soul projectと比較して、"Elements of life project"の目指したものとは?

"Elements of life "は、自分にとって、次のステップだったと思う。 別のカラーペインティングのような、自分にバンドを結成する機会を与えてくれた。 いつも自分はバンドを結成して、音楽を作って行きたいと思い続けていた。 "Elements of life "は、単なる1サウンドではなく、ちかいうちに、新作も08年の夏に リリースする予定でいる。次作は、まったく違うサウンドになると思う。このバンドは 自分にアルバム創作のコンセプトや、新しいタレントを取り入れる機会を与えてくれたと 思う。

 
 
 


●そして、念願の自身のレーベル Vega Recordsを立ち上げましたが、これから目指すものとは?

基本的にVega Recordsは、エレメンツ・オヴ・ライフのすべての楽曲をマネージするために設立したんだ。我々が楽曲を12インチやCD、シングル とか色々なフォームにしてリリースした際に、本当に沢山の人々がレスポンドしてきた。 おそらくサウンド自体がVega Recordsとして、すごく良くディベロップしてきたからだと思う。 我々の周りにいる新しいタレントや友人でもあるMr.Vとかは、すごく長い付き合いになり、 彼とは曲を創ったりプロデュースしてきていて、多くの曲はすごくホットで、自分がリリース したいなと思った。その中でもJus Danceという作品が、 一番最初に契約したものでもある。我々はVega Recordsを通して、新しいブランドを 創作したいと考えている。少しEOLサウンドからセパレートした感じでやってみたい。 そして、我々はダンス・リチュアルセレクションというアルバムをリリースしたんだ。 それは、よりダンスリチュアルにインスパイアされたもので、そのサウンドは、 すごくディープでアンダーグラウンド的な個性的でありつつ、潜在的にそれを越えたところへ も通じるものがあると思う。 基本的に、自分の周りにいる音楽友達を中心にリリースしているんだ。 彼らにとってのホームのような存在であり、楽曲のアウトレットという位置付けで やってもらいたいんだ。 自分自身も、レーベルオーナーとして活動することができ、今こうして、ここにいる事も 彼らをガイディングするような形でできるし、彼らのアルバムを創る事もできる。 自分は、アナーネ、Mr.V、サラ・ディヴァン, そしてThe elements of life projectの全てを信じているんだ。

 
 
 


How does music make U feel?

ミュージックは、すごくいい気持ちにしてくれる。 現在、 自分は、いつでもできる限り、良い音楽を創り続けてゆきたいけど、 自分一人では限度がある。。まだDJに飽きていない。もしDJをやる事に 疲れ果てた時にはやめるけど、まだまだ続けて行くと思う。なぜなら 自分は、DJをする事が大好きだからね。 だからハウスミュージックの原点に 振り返り、それが自分の人生そのものだという事を思うんだ。 ハウスミュージックは、表現のひとつだと思う。ハウスを通して、自分の中にある 深い部分を音楽的に表現する事ができる。ブラジリアン、アフリカンインフルエンスでも、 ジャズインフルエンス、プログレッシブテクノでも関わり無く、何でも・・・我々の中に秘められているものが、幸運にもそれを音楽として表出する事ができて、 最高だと思う。ハウスミュージックは、それを最高の手法で実現できる。自分は ハウスしか創らないという訳では無いけれど、自分にとって大きな表現方法のひとつ でもあるんだ。

 
 
 


●LOUIE VEGA -ルイ・ヴェガ- vega records
(Masters at Work/Nuyorican Soul/Elements of Life)
 
ダンスミュージックシーンのみならず音楽業界全体から現在最も大きな注目を集めている プロデューサーチーム、Masters At Work。ラテンミュージックに囲まれて育ち、ソウルフルなハウスやダンストラックの流麗なメロディを愛する"Little" Louie Vegaとヒップホップの重心の低いブレイクビーツを好むKenny "Dope" Gonzalezというプロデュース/リミックス/DJを幅広くこなす2人のマルチタレントが各々の持つ特性を絶妙にミックスさせて作り出すMasters at Workのサウンドは、今や全世界のミュージックシーンで絶大な支持を獲得している。これまでに彼等がプロデュース/リミックスを手掛けてきたアーティストとしては、Madonna、Julio Iglesius、Brand New Heavies、 Incognito、Jamiroquai、Martha Wash、Mondo Grosso、Ultra Nate'、George Benson、Barbara Tucker、Sabrynaah Pope、Bird、Monday Michiru、Jocelyn Brown、Arnold Jarvis、Rain、Janet Jackson、Braxtons、Pushimといったところをざっと挙げる事が可能である。これらの名前を見ればこのMasters at Workがメジャー、アンダーグラウンド、ポップ、ジャズ、ハウスといったジャンルや音楽のカテゴライズを超越した精力的な活動をsっているのがわかる はずだ。
また、彼等が直接運営する[MAW Records]からは、「Everybody Be Somebody」、「What a Sensation」、「Shout It Out」、「All That Jazz」、「Expensive Shit」、「Latin Love」、「Elements of Life」、「Life Goes On」といった作品が連続で大ヒットを記録。Roy Ayers、George Benson、Tito Puente、Eddie Palmieri、Vince Montana、Dave Valentin等の豪華ゲストを迎え一流プレイヤーによる生演奏とダンスミュージックの融合に果敢にチャレンジし大きな話題となったスペシャルプロジェクト、Nuyorican Soulのアルバムもまたスーパーヒットを記録したことは記憶に新しい。このアルバムは、例えばDaft Punkの『Homework』、Blazeの『25 Years Later』、Roni Sizeの『New Forms』等のように、ダンスミュージックの流れを大きく変えたアルバムとしてダンスミュージックの歴史に残ることだろう。 このNuyorican Soulの大成功以降もドラムンベース界に革命をもたらしたRoni Size / Reprezentの名曲「Watching Window」を見事にNuyorican風のスペシャルリミックスに仕上げるなど相変わらずMasters At Workの大活躍劇は依然として継続中である。Jody Watley 「Off The Hook」、Be Be Winans 「Thank You」といった傑作曲を次々シーン に送り出し、その全てをクラブシーンでヒットさせ、India & Nuyorican Soul名義で発表された映画"The Last Days of Disco"の挿入歌となるAlicia Bridgesのカヴァー「I Love The Nightlife」も当然の様に大ヒットB また、ルイ・ヴェガのソロプロジェクトであるElements Of Lifeでは、Anane、Raul Midon、Domingo Quinones、Albert Sterling Menendez、Dimitri from Paris、Blaze等をフィーチャ−し、様々な音楽スタイル、カルチャー、アイディアの融合によって新たなるステージを築きあげた。 DJとしても、90年代初期のSound Factory BarのUnderground Network Partyのレジデントを皮切りに、Dance Ritual、現在はBlazeのKevin Hedgeと共にCieloで行われる”Roots”でのレジデントを通じ、常にカッティングエッジなDJプレイで不動の人気を誇る。
  全世界的なサウンドのトレンドを左右するほどの圧倒的な影響力を持つプロデューサ−/リミキサーであり、グラミー賞にも度々ノミネートされ、遂に2006年度のグラミー賞において、ベスト・リミキサーに輝く。2006年秋には、David Morales、大沢伸一、そして、昨年のDoc Martinに続いてKing Street SoundsのMix The Vibe : Louie Vegaがリリースされる。 現在最も安定した人気と実力を兼ねたDJ=Louie Vega。正しくクラブ ミュージックシーンから飛び出した空前絶後のスーパースターである。[2006.10月現在] ※Yellow boardsより




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Adriana Evans interview by jun ide/エイドリアナ・エヴァンス 特別独占 インタビュー: Adriana Evans exclusive interview by jun ide/
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