Ledisi レディシ インタビュー

Ledisi レディシ インタビュー
Interview & Text by jun ide
取材協力: K.Sasaki,Y.Ozawa@Cotton club,Deirdre Dooley@Stimulated Air,Inc

RECENT WORKS
2007年に名門レーベルVerve Forecastと契約を果たし、第4作目となる『Lost&Found』をリリースしましたが、どんな経緯で創作されたのでしょうか。

『Lost&Found』 を創るキッカケとなったのは、自分が日々の出来事を日記に書き留めていた事だった。私の気持ちだったり、エ ピソードだったり、 ストリートの出来事だったり、人間関係のアップサイドダウンだったり、 恋愛関係、友人関係、人生や家族など、すべてのことを書き綴った。 そして私自身のキャリア、現在に至るまでのことや、当時私自身を誰も見つけ出してくれなかった頃、私はずっと歌い続けているのに、いつになったら 私の事をみつけだしてくれるのか? 私の事を愛してくれるのかという想いを 綴っている。 そして私自身が『Lost&Found』の中で一番最初に詞を書いたのが、"Been Here" という曲で、私が想うGODに関すること、私がどれだ けGODを愛しているのか、 人生を通していつも思い続けていることなど、リス ナーがこの曲を聴いたら、 きっとラブソングだと思うかもしれないけど (笑)、私は正直な気持ちを 書き綴ったと思う。

今のレコードレーベルが、常に私自身のままで居させてくれている。 なぜなら私はオーディエンスの事を良く知っている し、私自身の事も 良く知っているから。私自身、かなり伸び伸びと表現していると思うけど、 リリースする前は、みんなが気に入ってくれるかど うか不安ですごくナーバスになった。以前の私だったら、大声張り上げてソウルを歌い上げていたのに、この作品では以前と同じインテンシティだけれども、以前ほど声を張り上げて 歌って表現はしないで、ただリラックスした感じに歌っている。

Rex Rideoutが中心となってプロデューサーとして参画 してくれた。 DC出身のプロデューサーLorenzo Johnson,そしてLuther "Mano"Hanes、 Jamey Jaz、それにSandraも1曲参加してくれていてすご く嬉しく思っている。 私自身、過去の繋がりを現在の繋がりへと大切にし たいという想いがあった。 この作品を通じて、少し違う境地に広がりを持つ事 ができたような気がする。 私自身サンドラとずっといっしょに曲作りをしてき たこともあって、少し不安な 気持ちもあるけど、バンドも変わったし、すべての 私を取り巻く環境が変わったの。





●今作ではRex Rideoutをはじめとする数々の名プロデューサーが参加してますが、 どんな風にアルバム制作したのでしょうか。

曲ごとにプロデューサーが常に違うので、それぞれ曲のテイ ストが異なる。 Rexの場合は曲を創り始める時は何も無いところスク ラッチから始める。 Lorenzoの場合は、スタジオにいつも曲のピースが転 がっていて、 それをベースに創り始めたりする。これどんな感 じ?みたいなところ からはじまって、そこから曲に仕上げて行ったりす る。 Jamey Jazとの場合も何も無いところスクラッチから始 める。

”Lost & Found”の曲は、レコーディングする約3年前に 私自身がピアノで作曲したもので、とても長い年月 をかけて、 ようやく『Lost&Found』のアルバムが出来上がった。 実際には、『Lost&Found』を創ったキッカケは、Rexと 彼の自宅にいる時に、私がなんとなくピアノで弾い たメロディを Rexが聞いて、”That's the song!”って言って、その曲 をアルバムに入れるべきだって事になって、それが結果的にアルバムタイトルにも なった。 あの曲は彼の自宅でハングアウトしてた時に、本当 にたまたま出来た曲だった。 普段は人前では絶対にピアノを弾いたりしながら 歌ったりしなかったから、 Rexは私がピアノが弾けるの知らなかって驚いてた。 曲を創るプロセスはそれぞれのプロデューサーに よってやり方が違うの。 ずっと昔サンドラと私はいっしょに座って曲を創っ たりしたわ。


『Lost&Found』の中で、一番思い入れの深い曲は何ですか?

しいて言うならば、
『Lost&Found』が好きかな。何故ならその曲自体が、当時の自分自身の人生そのものだからだと思う。どんな人でも愛されたい気持ちは持っていると思うし、存在を認めてもらいたいと思っていて、その人自身の人生のあらゆる部分での成功を願っていると思 う。私自身にとって、 それが『Lost&Found』の意味そのものだと思う。 このアルバムを通して、 自分の存在価値を承認してくれたものだから。誰かが私を見つけて出してくれ、 誰かが私を認めてくれた事は、私にとってかけがえのない事で、 私自身の素晴らしさを認めてくれた事に関して、すごく感謝している。 みんな誰でも愛されたいという気持ちは持っているものだし、だから私『Lost&Found』が好き。アルバムの中でも、そんなに目立たない曲だけど、 キャッチーでもないし、ダークでムーディーでもない。私自身にとっては ハマってると思うから、この曲の中に希望を持ち続 けたいの。


●そして
『Lost&Found』はグラミノミネーションに選ばれて、どんな気持ちでしたか。

2008年にグラミーアワードのノミネーションで『Lost&Found』が、 ベストニューアーティスト/R&Bアルバムになった。私にとって そこで選ばれたという事がすごくエキサイティング な事だったわ。 ずっと努力をし続けて夢をあきらめなければ、いつ かは恩恵を受ける事が できると思う。
マムはすごくエキサイトしてたわ。本当は私に優勝 してほしかったみたいだけど。。 私は何も期待してなかったけど『Lost&Found』がノミネーションされた事 自体がすごく嬉しかった。人々が私の事を見ているという事だから。 ”good to be found!”私を見つけ出してくれて、本当に良かったと思う。


●そして昨年2008年には自身のクリスマスアルバム『It's christmas』リリースをしましたが、どんな風に表現しようと思ったんですか?

ちょうど去年末にリリースしたばかりのタイトルトラック『It's christmas』は、ちょっと可笑しいんだけど、もともと2004年頃に、私がブ ロードウエイでショウをしていた時に書いたものだった。いつも私は一人でクリスマスソングをハミングしていて、 その当時は、いつかは自分のクリスマスアルバムを 作るっていう風に思ってた。
何年か前のツアー最中に、突然マネージャーが私にクリスマスソングを4曲必要だって 言ってきたから、どうせだったらフルアルバムでや らない?って逆提案した。 私たちはツアー中で、オフ時間が3日くらいしかな かったんだけど、結局その3日を使って、 このアルバムをスタジオでレコーディングして、90%くらいは仕上げた。 ほとんどの楽器を私が演奏して、すごくオーガニッ クな感じで、私の一番最初のアルバム 『ソウルシンガー』をレコーディングした時の感覚 を思い出したわ。皆がスタジオに詰めて、ひとつひ とつ トラックを仕上げてゆくような感じで、今回もRexが アイデア出してくれたりしながら、 私が色々と歌いながらアレンジメントを考えて、 ミュージシャン達はとても自由な感覚で曲を作って いった。 私はクリスマスアルバムを作ることがとても楽しく て本当に最高だった。
この作品ではジョージデュークとも一緒にレコー ディングしたり、RexやLorenzo達とも一緒に作ったり した。 私自身始めてゴスペルソングを作って、結果的には すごく良い仕上がりになったと思う。 ゴスペル・ミュージックチャンネルのコンサートシ リーズでも演奏したし、自分自身を解放して、 いままで接点があまりなかったオーディエンス達と も繋がれたと思う。 それにCDは更に良い形に仕上がったと思っている。 私はクリスマスが大好きで、 アルバムに収録されている曲は、どちらかというと トラディショナルなクリスマスソングではなく、 ジャズ風、R&B風、モータウン風なものとか、色々 とミックスした雰囲気で、本当に良い 仕上がりになったと思うわ。


●Early development:
幼少時代ニューオリンズで過ごされましたが、どんな風にして両親から音楽的な影響を受けましたか。


幼い頃,私は両親と一緒にニューオリンズに住んで いた。 私のマムは自分のバンドをもっていて、ステップ ファーザーが ドラムを叩き、マムがシンガーをやって活動してい た。 私が10才くらいの頃、彼らのライブパフォーマン スを良く観ていて、 その頃からだんだんとシンガーとしてやっていきたいって思うようになった。 私の自宅のホームスタジオには”8トラック”レ コーダーがあったりして、 トラック毎にそれぞれのパートをマムのバンドがレ コーディングしていたようだった。 実際にセミプロとして歌い始めたのは、ハイスクー ルに通っていた頃で、 地元でキャバレーショウに出演していた。それから 暫くしてベイエリアで 自分のバンド”SlideFive”をスタートさせたんだけ ど、ほぼ同時期 にそこから枝分かれして、自分自身のバンドをス タートさせた。


●将来シンガーとしてやって行きたいと思ったキッカケは?

私が一番最初に強くシンガーになりたいって感じた時は、 ライブでマムの歌っている姿を観ていた時だった。 会場の観客が興奮してすごく盛り上がって、マムが 歌で 観客をコントロールしているパワーに圧倒された。 彼女が何を観客に言っても、彼らはそれに反応し、 私はそのフィーリングが最高だと思い、その時私は 本気でシンガーになろうって決意したの。 私の歌で観客の心を掴めるような、そして観客と泣 いたり、 笑ったりしながら歌えるシンガーになりたいと思っ た。

●影響を受けたアーティストは?

私は本当に沢山のあらゆる音楽を聴いていたわ。 ノーマン・コーナーズ、 アース・ウインド・アンド・ファイアー、チャカ・カーン、私のマムも 大好きだったアレサ・フランクリン、それに沢山のジャズやアフリカン・ミュージックとか、本当に沢山の音楽を聴いて育ったと思う。


●1999年頃、ベイエリアで本格的な音楽活動をしましたが、どんな経緯でバンドを結成したんですか。

そもそも私がバンドをつくるキッカケになったのは、私の知り合いの ホーンプレイヤーからキーボードのサンドラを紹介 してもらったのが 始まりだった。さらにサンドラから他のバンドメン バーも紹介してもらった。 当時サンフランシスコ・ベイエリアを中心にライブ活動を沢山やっていたけど、 特に何もレコーディングしていなかったから、私とサンドラの二人が中心となって、 いっしょに曲作りを始めて、他のメンバーも参加し て、1999年にファーストアルバム『ソウルシンガー』をリリースした。

Mid Stage development

●何故ベイエリアを離れ、ニューヨークブロードウエイを目指したんですか。
そしてどんな経緯で名門Verve Forecast Recordと契約に至ったのでしょうか。

『ソウルシンガー』をリリースした後、2003年に第 2作目の 『Feeling Orange, But Sometimes Blue』をリリースしたんだ けど、 どちらかというとジャジーな感じの作品で、R&Bの テイストを 取り入れた作品だった。 リリースした当初はあまり売れなかったんだけど、 どういうわけか、 私がCDを売るのをやめて2、3年経って、ジワジワ と売れた作品なの。 当時”EBay”とかで、そのCDがなんと$189で売られた りする程、 沢山のファンの人が欲しがった作品だった。私の作 品はレコーディングが 終わってから、ファンの人たちが作品を買うまで に、しばらく時間がかかる ようなの(笑)

第2作目の『Feeling Orange, But Sometimes Blue』以降、2004 年になって、 私自身が燃え尽きた感が出て来ていて、ソロとして 音楽活動に疲れきってしまった。 自分自身、本当に沢山の努力とお金と時間を注ぎ込 んでいたのに、何もお金にならず、 自分自身がどこにも到達出来ないと思った。実際に はいい所まで行っていたけれども、 私自身が安心出来るレベルまででは無かった。 自分はこの世界から足を洗おうと思ったんだけど、 少し思いとどまり音楽活動を 止める代わりに、NYのブロードウエイに行って、自 分のキャリアの可能性に変化をつけるために、そして私自身の勉強のためにも、も う一度チャレンジしてみようと思った。 そしてミュージカル『The Color purple』に私が参加した頃、たまたまチャカ・カーンが ショウの前座を探していて、それでまた音楽ビジネ スの世界に引き戻された感じになって、1週間ほどステージに戻ったの。それがキッカケで また良い評判がたって、ライブ活動を 開始するようになった。でも私の心の中では、また プロフェッショナルとして 音楽ビジネスへ戻るかどうか少しためらいもあった。
自分は音楽教師かプロデューサーのような事でもや ろうかと思っていた時期に、 Verveレコードから連絡が入って、私にオファーが あったの。 ルーサー・バンドロスのトリビュートプロジェクト で、『My sensitivity』が、 すごく評判が良い作品になった。 私がDCでライブをやっていたときに、Verveレコード から沢山のエグゼキュティブが現れて、 会場で沢山のファン達が、私のCD『Feeling Orange, But Sometimes Blue』を$80で買い、 『Soul singer』を$60を買うのを見て驚いていたようだった。 その後にCDを販売する事を一時やめたんだけど、 ショウ自体もチケットが売り切れになったりして、 沢山の人々がショウを見に来るようになってくれた の。

Verveレコードとは約1年半と少し時間はかかったも のの、すこしためらいながらも 契約にサインすることになった。 これが私にとっての最後の賭けだった。 それからようやく3枚目のアルバム『Lost&Found』が 完成した。 以前から制作準備はしていたのだけれども、完成後にこの作品が”グラミー・ ノミネーション”される事になった。


●トニ・トニ・トニやチャカ・カーンなどとも交流があるそうですね。

もともとトニ達は、オークランド出身で私と同じ ベイエリアが地元なの。 私はいつもラファエル・サディーク、ドゥエイン・ ウィギンズのファンでも あったし、私にとっても、ベイエリアの人々にとってもヒーローなの。 チャカの場合は私がセカンドアルバムを出した頃 に、彼女から電話をくれたの。 ずっと昔から、いつかは絶対チャカ・カーンに会うっていう風に思っていたから、すごい嬉しかった。 彼女に私が認めてもらえたっていうのもすごく嬉し かった。彼女は本当素晴らしい女性だし、 私をサポートしてくれて、とても美しいプロセスだ と思う。


●あなたの音楽信条について

私自身の音楽に対するモットーは、常に自分自身で いること。絶対に本来に自分自身のエッセンスに 関して妥協しないことね。何かに合わせてゆくよう な事はせず、私自身は絶対に自分自身でいたいし、 私自身誠実でいたい。人々は誠実さを求めているし、本当に大好き。今人々は本物の音楽を求めていると思う。 それゆえに、私はそういう観客に囲まれていると思 う。なぜなら私自身そのものだから。 私はいつも人々に助言するときには、常に自分らしくいるのが大切だと説くの。 もしあなた自身でなければ、どうするの? なぜ杓 子定規の箱の中に自分を合わせていて、自分らしく生きないのか。 自分自身の道を開拓して、リードして何かを見つけて、そして何かを与える。 私自身のストーリーを語り、私自身の心を開くこと によって、そこから何かを受け取ることができる。 その時私は一人ではないという事が分かる。どんな気持ちになるか、何かあなたが経験することは、 他の人たちも経験することもあると思う。私はオー ディエンス達にすごく感謝している。 それにあなただって、約十年くらいまえの2000 年から、私のライブに来てくれていて、 私の1stアルバムから知っていて、すごく長い間愛 してくれてた事に本当に感謝だわ。 だから私は常に良質の音楽を与え続けて行きたい。 私自身の価値を提供し続けて行き、 すごく良いスピリッツを提供し、すべての人に対しても同様に与えて行きたい。


● How does music make U feel?


私にとって音楽は息をすることと一緒ね。食べたり、寝たりすることと同じこと。 歌うことは何か私が生まれながらにして使命を受け たことだと思っている。 私は『Lost&Found』アルバム自体創る事を理解していて、いつかどのくらいかかっても、 何かスピリチュアルな内容が詰まった音楽を創りたいと思っていた。それが私自身が この世に命を受けて行うことだと思っている。私はそれが如何に大変だとしても、 そのプロセスを変えることは無いと思う。なぜなら音楽は私をより良い人間にしてくれるから。 私は本当に音楽が大好きで、オーディエンスが大好きで、良いミュージシャンが好き。 それに創造物に対して情熱を持っている人が好き。
音楽であろうとなかろうと、 情熱があるものに対して情熱を捧げられるものであ れば、あなたが大好きでやっていることは、 本当に素晴らしいと思う。私にとって音楽はハートであり、ソウルであり、私自身は音楽をするために生まれて来たの。

私のファンの皆さんへ、 本当にありがとう!ありがとうを言うだけでは十分でないと思ってる。 いまそれしか頭に浮かんでこないけど、本当にずっとサポートしてくれて ありがとう。ライブに来てくれ、CDを買ってくれて、そこにいてくれるだけで、 私にとってすごく十分な気持ちになれる。 私のショウに来た時に、あなた達の笑顔、涙をみるだけで、音楽をやっていて 本当に良かったと感じる。私はあなた達が私の音楽 が必要なように大切なの。 私達はいつでも一緒よ。本当にありがとう!

 
●Ledisi(レディシ)Official site

ソウル、ジャズ、ファンクを自在に操り、パワフルなヴォーカルで聴く者を圧倒するレデシー。ニューオーリンズ出身で、10歳の頃に家族と移住したカリフォルニアのオークランドでは、大学でオペラを学んだりしながら、トニ・トニ・トニのメンバーらとも交流を図り、バンド活動に励んだ。その後、制作パートナーとなるサンドラ・マニングと共同で作り上げたソロ・デビュー作『Soulsinger』(2000年)を発表(後に改訂版もリリース)。自主制作盤ながら大きな話題を呼び、ネオ・ソウルの文脈から広く人気を集めた。'02年にはジャズをテーマにした『Feeling Orange,But Sometimes Blue』を発表。以後、NYでミュージカルの仕事をするなどしたが、'06年にヴァーヴ・フォアキャストとメジャー契約。翌年発表した『Lost&Found』は高い評価を得て、グラミー賞にもノミネートされた。'08年秋にはクリスマス・アルバムもリリース。今やクインシー・ジョーンズやスティーヴィ・ワンダーからも一目置かれる存在となったレデシー。ブラック・ウーマンとしての誇りを持ちながら、チャカ・カーンの如く奔放に熱唱するステージは客席の度肝を抜くだろう。

 

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取材協力: K.Sasaki,Y.Ozawa@Cotton club,Deirdre Dooley@Stimulated Air,Inc , Interviewed & Text by Jun Ide]

 

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